こんちは、コジマケンです。
さて、ホームページの引っ越ししてから一週間ほどたちまして、最近気になるのは、やっぱりこの調子の悪いマックのことであります。こないだ書いた、ハードディスクのアイコンが白紙になっちゃったってのは直ったんです。あれはなんかよくわかんないけど、へんなところクリックしたら直りました。なんでへんなところをクリックするとなおるのか、さっぱりわからないんですが、まあ直ったんだからよいことにします。
でもまあ、うちのマックがそんな調子なものですから、このホームページでこのあいだから掲載始めてみたまんがコーナーも、ちょっと気になってます。これ、読めるかな…。どう?
さて、近況をいくつか書きます。
うちのプリンタはキヤノン砲バブルジェッターなんだけれども、これ、買ってからちゃんと使えるようになるまでに一年半かかった。なんだかずっと間違えた使い方で覚えてしまっていて、なんでこのプリンタはこんなに色が悪いんだろうってぼやきながら使っていた。(たしかクイックドロウっていうのの設定を間違えていた)おまけにちょっとした目詰まりで、インクがなくなってしまったって思い込んでカートリッジを新品に取り替えたりしていたから、なんでこんなにインクがすぐなくなるんだろうっていつもいつも悲しくなっていた(クリーニング機能を知らなかった)。
またあんまり面白い話しでなかったですね。もっと書くことあったような気もするんだけど忘れてしまった。
98.9.3 コジマケーン
えっと…、前回のだらだら書きが、なんだかぐちっぽくてね、反省しているのですよ。マック関係のトラブルはぼくに限らず多くのひとにあることですし、いちいち書いていたらきりがない。べつの話題をいろいろ考えなくては。とはいえ、あんまり話題のないオトコだから、またたいしたこと書けないですが。
このコーナー、最初は読んだ本とか、気に入ったCDのことなどでも書くコーナーにしようかなーとも、思っていたのですが、いつのまにかそういうこと忘れてしまっていました。読書日記みたいなコーナーもいいなあとも考えていたのですが、その後読んだ本が立て続けにスカだったので、やめてしまった。
ヘミングウェイの「老人と海」って、ぼくは最初読んだときさっぱりわからなかった。たしか高校生くらいのときだったと思うのだけど。だってあの本、なんの事件も起きないでしょ。しかもハードボイルドな外面描写のみの文体でしょ。腹が立って腹が立って、なんでこれがノーベル賞なわけさって怒っちゃったですよ。まるで面白くなかった。薄っぺらな本なのに読むのに数週間かかっちゃった。
嫌いだったものが突然好きになるっていうのは、音楽、とくにジャズに多い。
なんか今日はいつになく偉そうだぞ。理屈っぽいね。
そういえば、数人の友人に指摘されたんだけど、このだらだら書き、コジマらしくないって。コジマはもっといやな奴だから、このコーナーはいいひとぶってんじゃないのーってさ。…まあそうなんだけどね。
つーことでおしまい。
98.9.10 コジマケン
リンクのことについてちょっと書きます。
さて、9月のだらだら書きはページの下へしたへとスクロールして伸びていきます。ここまで読んでくれるひとがどれくらいいるかなあ。だけど、もっともっと下に伸びそうだぞ。
ASAHI-NETに引っ越してきてから「衛星経由フフノカノワの冒険」は、昔のまんがを復刻したほかに、新作の更新をまるでやっておりません。唯一このだらだら書きだけ、気紛れに更新していますが、なんだかちょいちょいチェックしてくださっているお客さんに対してすまない気持ちがつのってきています。でもまた今週もだらだら書きだけの更新です(このホームページは月イチくらいのチェックで充分ですよー…)。
なんか今回も面白い話題はないですねえ。仕事のハナシは基本的にホームページ上ではしないつもりでいまのところやっているものですから、いそがしいときはなにも書くことないです。(ホントはそんなにいそがしくないんですけどね)
そうそう、今年の夏、友人の運転で海にいってきまして、そのときそいつに写真撮ってもらったんです。かっこよく撮れたら、ホームページで自己紹介のページに使おうかなあなんて思って。
スクロールご苦労様です。こんなに深いところまでやってきてくださって感謝しています。なんか面白い話しでもないかなー…。
さて…。
ぼくの場合、ユーレイとか、死後の生とか、そういう問題は科学的には存在しないと考えているのだが、それでも人間の脳みそには臨死体験などがあるように、なんの為だか夢や幻をみる機能がオプションでついているのだから、それはぜひとも活用したほうが毎日が楽しいのではないかという立場をとっている。ぼくのマックはパフォーマなので、オプションでテレビが観られるのと同じだ。せっかくなんだから楽しみたい。
去年のことだったかな、ぼくが寝ていると、ちり紙交換の自動車がやってきたんですよ。朝方5〜6時くらいのことだからなんかヘンなんだけど。ぼくは夢か現の境にいて、ああ小型トラックがきたなーなんて感じている。もちろんぼくはふとんのなかにいるわけだから、その車がみえたわけではないはずなんだけど、でもたしかにみえていた。車のなかにはまんがの「アパッチ野球軍」から出てきたみたいなちょっと不良がかった若人がふたり乗っていて、面倒くさそうな態度で仕事している。
これはつい最近みた夢。ホントに数日まえの夢。
まあ、あまり本気にされると困るので申し上げておきますが、ぼくはこういうことをあくまで夢として楽しんでいるんですよ。べつに宗教的ななにかってんでもなく、あるいはユーレイは存在するとかしないとかってことが言いたいわけでもなく、夢や幻をみてしまう人間の脳の機能が面白い。あくまでそういう脳みそに対する興味なのだ。それ以上のことは知りません。
さて、話しを変えましょう。
最近またマックが不調でさ(またこのハナシかい)、もうノートンでも直らない書類がたくさんでてきた。バックアップとっといたのと取り替えてくれっていう表示がでちゃってでちゃってしょうがない。ぼくは絵とかメール以外はほとんどバックアップとってないから、もうぜんぶ入れ替えるしかないんだが、面倒くさくてやっていない。ああ、近々暇なときにでもぜんぶ入れ替えよう。なんか一日がかりになりそうだなあ。
そうそう、ポストカードの販売の件なんですが、こないだちょっと書いたけど、そのあとすっかり忘れてました。何人かのかたから通販はしないのかとのお問い合わせをいただきました。いまのところ通販の予定は立っていません。これはぼくがズボラな性格なので、お金を預かる自信がないという理由が大きいです。それからポストカードも、いまのところ自宅のインクジェット式プリンタで印刷しただけのものなので、商品として、お金をいただいてよいものなのか少々自信ないということもあります。それから、このASAHI-NETのホームページは商売禁止のホームページらしいので、そのことに引っかかってしまったらいやだなあというのも理由です。
こんなページの果てのほうまで読みに来てくださってありがとうございました。来月はどういうやりかたにしようかな。下から上に新しくなるという日記形式でいくか、あるいはいちばん上に目次をつけて、クリックするとその日に移動できるってのもいいかな。
98.9.26 コジマケン
ホームページみてくれてありがとうございます。
ぼくの場合、マックが不調になるとだいたい「マックのお医者さん」ひろげてあーでもないこーでもないって試してみるんですが、最近スイッチ入れると「?」マークが出て、このディスクは読めませんからハードディスクを初期化しますかってきかれることがよくあるんです。勿論初期化しちゃまずいから、急いでノートン先生呼んできて直してもらうわけだけれども、この症状のところを「マックのお医者さん」で調べると、かなりの重傷ですって書いてあってさ、なんだか、お医者さんに重傷ですよって、宣告されちゃうのってやっぱとてもこたえちゃってねえ…。いよいよかなー、来るべきときが来たのかなー、とか、毎日落ち着かない。
インターネット方面でもやってるとフリーズする回数がまた増えてきてまして、ヤフーで、調べものしていてもよく固まるようになってきた。検索サイトで固まるのってなんだかとてもつらいです。ほかのひとたちのパソコンもけっこうそうなのかなあ…。
まえにうちのマックが調子悪いってこと、このコーナーに書いたとき、数名のかたからメールでうちのはもっと調子悪いよって話しを聞かせていただいたのだけれども、それによるとたしかに高木さんちのパソコンよりはまだうちのほうがマシみたいなんだけれども、でも高木さんはもういつでも買い換える準備ができてそうだったからなー…。高木さんが買い換えたら、次はコジマにお鉢が回ってくるのかなー…。だったら高木さん、まだ買い換えないでいて欲しいなー…。高木さんが新しいの買ったら、コジマがビリッケツってこったもんなー…。
まあいいや、こんなシケた話しは…。
うちの144のモデムで試してみたところ、インターネットでまんがを読むのはかなり過酷な作業だなーって感じでした。次のコマが表示されるまでに、前のコマがなんだったのか忘れてしまう。これを最後まで読むのはよほどの忍耐力の持ち主でなければなりますまい。頑張って最後まで読んでくださったかたがたホントにどうもありがとう。努力賞あげたい(チュッ!!)。
きのうともだちの個展をみにいってきたんですけど、そのときそこの画廊のオーナーにフフノカノワのポストカードのサンプルを数枚みていただいたところ、それをちょっと画廊において売ってみないかというハナシになりまして、いま考えているところなんです。ちゃんとした印刷ではないし、ぼくのメールアドレスはいっちゃってるしってことで、商品としてはどうでしょうねー…。こういうものを買ってくれるひとなんているのかなあ。もしかしたら、ためしに数枚やってみるかもしれません。まあ売れなくてもかまわない程度に。
ぼくもときどきポストカードってとくに使うあてもなく買ったりしますが、くまのプーさんとか、ひとまねこざるとか、そういうのが多いです。あと、ヘップバーンのも一枚壁に貼ってあるな。そのほかにはだいたいともだち関係の個展やグループ展のDMが知らずしらずのうちにたまってきちゃったりして。部屋の壁がなんとなく寂しいなあとか思ったときにそういうのまとめてベタベタ貼ってしまう。一年くらいしてそのカードをはがすと、壁の色が変色してて四角いムラができちゃって、あれにはいつもがっかりさせられてしまう。ぼくは煙草ばかり吸っているので壁の色の変わるのが早い。(マックの不調もそのせいかもしれないけれど。)
そんな感じだったから、その間違いに気がつくまでぼくは、プリンタっていうのはそういうものなのだとあきらめて、ほとんど使わずにすごしていたわけです。パソコンショップにおいてあるあのきれいなプリント見本はありゃきっとウソに違いないと、あれはきっと21世紀の科学力であって、現代においてはまだ不可能な技術なのだろうと思っていたわけです。
だもんだから、おのれの間違いに気がついて、もういちど人類の科学と知恵の歴史を信じてもいいような気がしてきたとき、もうなんでもかんでもプリントしまくりました。自分の絵とか雑誌の切り抜きとか、意味もなくプリントしては壁に貼っていました。ああプリンタって面白い。
というような日々を通りすぎて、なんかもうちょっとマシなものプリントしなくちゃっていう思いがしてきて、ポストカードでも作ってみようってことになったわけです。まあこれも5枚作ったところでいま一息ついているのですが。
だけどね、このぼくのキヤノン砲バブルジェッターは、A3までプリントができるんですよ、ホントはね。でもね、ぼくのマックじゃメモリが足らないんですよ、A3がプリントできるってんで、このプリンタ買ったのにね。パフォーマの限界までメモリ積んだのに、なんかダメみたい。でももしかしたらうまいやりかたがあって、ぼくがまだ知らないだけかもしれないですけどね。
ではまた。
9.10のシャバダバ書き
スカだった本のことについて書くのはとりあえずやめておきたい。悪口は、いうのもいわれるのも(場合によっては)けっこう好きなんだけど、始めはスカだと思っていた本が、あとでアタリだったなんて思うときもあるでしょ。そういうときに昔にさかのぼって訂正するのが面倒くさいのですよ。単にそれだけ。
そういえば、買った本がスカだったとき、ぼくなんかはそれでもせっかくオカネだして買ったのだから勿体ないなーって、できるだけ読もうと努力するんだけど、きっと多くのひとがそうだと思うんだけど、そういう行為に対して、立花隆が「知のソフトウェア」(講談社新書)という本のなかで、「オカネを無駄にしてさらに時間まで無駄にするつもりか」というようなことを言っていたのをよく思い出す(うろ覚えで書いてますので、文面ちょっと違うかもしれません)。つまりそんなもの読むなって…(笑)。そうだなあ、そういう意味(情報のインプット、アウトプットという意味)では、ぼくはオカネも時間も無駄にしている…(笑)。
だけど、ぼくの場合、つまらなかった本やCDが、あとになって好きになるということがとてもとても多い。不思議なんだけど、一発で好きになったものよりも、何故かあとになって好きになったもののほうが、その愛着が長続きする。このことについて、とある知人が、「最初に100点つけるか0点つけるかの問題」といっていた。つまり第一印象が好感触だったので、100点あげてしまうと、あとあと減点していくしかなくなるの。それで、最初に大嫌いだったもの、つまり0点あげてしまったものは、あとあと加点していくしかないでしょ。だから最初に嫌いなほうがうまくいくって、人間関係なんかもそうだって…。ふーん、なるほど…。
それが何年かたって、もう一度読み返したときはなんだか印象ががらっと違ってしまって、こんな凄い本があったのかーっなんて………(笑)。もう夢中でそのまますぐ読みきってしまった。この本はその後もときどきひらいてはうるうるしてます。いやー、凄い本だ。小船に鳥がとまっただけで感動して泣けちゃうんですよあの本、信じられる? おじいさんの手が痛いってだけで目頭熱くなっちゃうんだぜ(笑)。
あと、村上春樹も最初嫌いだった。いまでは大好きな作家だけど。
最初に読んだ村上春樹は「羊をめぐる冒険」が出たばかりのときで、内容知らずに目次に魅かれて買ったんだけど、読んでみて中味は目次ほどの面白さでなくてがっかりした。「鼠」というひとがでてくるけど、鼠さんって人間でしょ。「いるかホテル」もイルカが経営してるわけでないし、「羊男」だって羊の着ぐるみ着てでてくるなんてセコイセコイ。当時、ボリス・ヴィアンや、アルフレッド・ジャリ、J・G・バラードの「ヴァーミリオン・サンズ」、ジョン・ヴァーリイの「八世界」シリーズなんかに酔いしれてたぼくだから、村上春樹はなんだか目次だけのひとって思っちゃった。
どの作品がきっかけで村上春樹が好きになったのかはちゃんとした記憶がないのだけれど、気にくわねえなーなんて文句ばっかいいながら、それでもときどき読んでしまう作家なので、結局どこか目が離せなかったんですね。「ハードボイルド・ワンターランド」で、思わずオチはどこだよーってつっこみたくなったり、「ノルウェイの森」で、ますますフツーじゃんかよーっていってみたり、「ダンス・ダンス・ダンス」で、あの事件の犯人は?ってききたくなったり、「ねじまき鳥」で、こないだ読んだのとまた同じ話しじゃんかよーっていいたくなったり…。そんなふうにツッコミいれながらいつのまにか文庫化されたものはほとんど読んでしまっていました。つまりはいつのまにか好きになってたってわけ。
一応フォローしておきますが、村上春樹のこのツッコミいれたくなるところって、実は作家としての誠実さだといまでは思う。作品としてキッチリ出来すぎているものって、逆にちから半分で書いているような印象を受けるときがある。(実力で描ききれるていどの世界として設定してしまっているから、作品としてはよく出来ていても、作者にナメられているような気がしてしまうときってあるでしょ。)だから、村上春樹の小説ってベストをつくしたがゆえの破綻という感じがして気持ちいい。どれくらいベストをつくしたかっていうことまでは部外者にはわからないけれど。
ぼくが19の頃だったと思うんだけど、1956年のマイルス・デイビスがとても好きだった。「リラクシン」と、「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」が大好きで、だけど、ほかの時代のマイルス・デイビスがまるで面白くなかった。ぼくが19のときだから、その頃のマイルスの新作がたしか「スターピープル」か「デコイ」あたりなんだけど、そんなの同じマイルスだなんて信じられない。当時、「ウイ・ウォント・マイルス」を聴いてナンジャコリャってあきれたのを覚えている。とにかくエレキのマイルスが面白くなかった。それから、ライブのマイルスもつまんなかった。モード・ジャズも不快な印象を持ってしまったな。
ぼくの場合、20歳前後にいっかいジャズにはまって、30歳前後にもういっかいジャズにはまるんだけど、30歳前後にはまったジャズは、20歳頃の好みとまったく逆になってしまう。
ぼくの20代は、調度レコードからCDに移行する時期でもあった。ジャズってなかなかCDとの相性がよくなくて、だからぼくもずっとCDになってからは買わなかった。30歳くらいになって、昔好きだったレコード(当時は図書館で借りてばかりでほとんど買わなかったのだけど)をCDで聴き直してみようと思って「リラクシン」あたりからまた買ってみたら面白くなってしまって、こんどは昔嫌いだったエレクトリックなマイルスのかっこよさにまいってしまった。「アガルタ」「パンゲア」「ダーク・メイガス」「ウイ・ウォント・マイルス」あたりはいまも毎日のように聴いている。
ぼくはインチキ・ジャズ・ファンだからたいしたことは書けないんだが、昔のジャズ・マニアはよくこういう経験を「わかる」っていう言葉で表現してたように思う。「レコード盤が擦り切れるほど聴いて、おれもやっとチャーリー・パーカーがわかったよ」なんていいかたをよくしていたように記憶している。でもぼくとしてはその「わかる」っていう言葉はどうも適切でないような気がしてならない。理屈でわかるっていうのと違うのだし、わかるっていうわりにはそのわかったことを説明してくれっていってもたいした答えを言ってくれそうにないし。他者に説明できないのであるならばそりゃあなたわかってないんじゃないのーなんて揚げ足とりたくなるのがぼくだからなー。
そのあと、「うーん、わかるような気がする」っていう逃げ道のこしたようないいかたが出てくる。こういういいかたはまともに相手にしてもしょうがない。どっち転んでも「わかるような気がする」ですませられる。便利だけど。
ほかに「開眼する」っていう言葉もある。なんか古くさい言葉でぼくはあまり使いたくないけれど、こういう感覚がいちばん近いかもしれないなあ。
生まれつき視覚障害をもっていたひとが手術で目がみえるようになったとき、目がみえるということがどういうことかわからなくて、最初は世界が光りの氾濫だけにしかみえないというようなことなにかで読んだけど、もしかしたらそういうのに近いかもしれない。
こういう音の組み合わせが美しいなんて全然経験したことがないと、やっぱり最初はただの音の氾濫にしか感じられなくて、不快な印象を持ってしまう。でもそのうちあたまのなかの神経の回路がおさまるべきところにおさまってきて、いままで知らなかった美の回路がつながる。目がみえるようになる。
一応申し上げておきますが、コジマの謙虚は演技ですからね。もうばれてるとは思いますが。
98.9.17 今週のドゥビドゥバ書き
このホームページはリンクフリーですから、どなたさまもご自由にリンクしてくださってかまいません。そのことでメールくださらなくてもべつにかまいませんです。どこかでだれかがリンクしてくださったのならそれは光栄なことだとこっちは思ってますので、なにかそのことで問題が発生するようなことがあったら考えるけれど、いまのところそういうこともなさそうなので、ホント、勝手にリンクしてくださってけっこうです。
で、その場合、基本的には最初のページにリンクしてくださるのがベストだと思います。ほかのページは名前がかわる恐れがあるし、削除されたりすることもありえます。
それから、こちらでつけているリンクのことなのですが、いまのところ友人知人関係のみに限らせてもらっています。若干まだお会いしたことのないかたのページもリンクしてますが、遠いながらもそのうちご縁があるかもなーなんて思ったので勝手にそう判断してリンクしちゃっています。
なにがいいたいのかっていうと、コジマのホームページにどなたかがリンクしてくださることはとても嬉しいし光栄なことなんだけれども、そのお返しでこっちからリンクするっていうことをいまのところやっていないってことなんです。ときどきそういうかたがたのなかにとてもいいホームページがあって、できることならこっちからもリンクしたいなーって思うこともあります。いままで何回かそのことで迷ったりしていたのですが、最終的にはやはり最初のコンセプトの通り、リンクはできるだけすくなくすることを優先し、リンク返しはできませんということにいまのところなってしまっています。
そのことで何人かのひとに不愉快な思いをさせてしまったかもしれません。
この先、このぼくのコンセプトが変更になって、たくさんリンク集をつくる可能性もあります。いまだにあれこれ迷いながらつくっていますので、即みなさまと歩調を合わせるというわけにもいかず、失礼しております。
ほかのひとのホームページなどをみていると、たいていの日記コーナーは上へうえへと伸びていくものみたいです。そのほうが最新の日記がまず表示されるわけだからたしかに親切だと思うのだけど、ぼくの場合だらだらとひとつの文章が日記より長めのものになってしまうことが多いから、上に向かっていくのがふさわしい気がしない。
一日ぶんを1ブロックとすると、その1ブロックは上から下によんで、そのブロック自体は下から上に積んであるわけだから、1ブロックがちいさなものなら読みやすいけど、そこそこスクロールしなくちゃ読めないブロックとなると、やはり上から下に垂れ下がる形式のほうがいいような気がする。
でも、ちょっと読みにくいよって意見ひとついただいたので、10月は下から上にいってみようかな。どっちにしろ読みにくいかもしれませんけどね。
たぶんひとつのブロックに対してひとつのページを割り当てるのがいちばん読みやすいのでしょうが、このページはきらくに更新できることが優先だから、読むかたにはご面倒様ですが、ちょっと我慢してください。
いまのぼくはストーリーまんがの新作をかくぞかくぞと思っているのですが、こういうのはひさしぶりなので、まんがのかきかたすっかり忘れてしまっていて、いま弱っています。はてさてぼくはもう一度まんががかけるのだろうか。
でも、あんまりかっこよくなかった。残念。
とはいえ、せっかくこんな下のほうまでスクロールしてみに来てくださったのだから、一枚だけ公開いたします。恥ずかしいからちょっと加工してますが。(撮影・アオキヒロユキ)
ずいぶん深いところまで降りてきたぞー。
9月26日
幽体離脱の練習というのをよくやっていたことがある。高校のとき、友だちのうちでみせてもらった雑誌「ムー」に幽体離脱のやりかたというのが載っていて、それをその友人が試してみたところ、上半身だけだが魂が肉体から抜けたというのだ。これは面白そうだ。ぼくもやりかた教えてもらって、家に帰って毎日練習してみた。
当時、カナシバリまではなんとか意識的にできるようになった。まあそこまでもいかないことがほとんどだったのだけど、まずカナシバリになるのが魂を肉体から抜き出す第一段階だそうで、そのあと体から魂の離脱をはかるのだ。しかし、その魂の離脱となるとどうしてもできない。やりかたを教えてくれた友人も上半身が抜けたとき、怖くなってやめたってんだけど、同じようにぼくもどっか臆病風吹かしているところがあって、抜けたまま戻れなくなったらどうしようなんて考えていたから、そんな生半可な気持ちでは魂ぱく抜け切れるもんでもないようだ。
それで結局ぼくのこの幽の体は、脱して離れることができなかったわけなんだけれど、いまでもときどき気まぐれに、そういうことやってみたいなあなんて思ったりしているわけ。
そのちり紙交換の車が、うちのまえで止まってさ、勝手にそのアパッチ野球軍のふたりがうちにあがってきてしまってね、ぼくが寝ているベッドの横に来てぼくを見おろしているわけですよ。ぼくは寝たふりしていたんだけど(というか、ホントに寝ていたんだと思うのだけど)。でもそのうち彼ら、またまた面倒くせえなーなんて態度しながら、ふたりしてぼくをひっぱり出そうとするの。ひとりが頭のほう持って、もうひとりが足持ってひっぱるんですよ。こういうことされちゃ困るでしょ。ぼくも怖くなってしまって、必死になって目を覚まそうとしてさ、なんとか正気を取り戻そうとしましたよ。
それで目が覚めたわけ。もちろんちり紙交換の不良のふたり組はもういなくなっていた。へんな夢だったなー。
彼らがいなくなったあと、冷静になってしばらく考えてみた。前述した「ムー」とは別の幽体離脱の本で、幽体離脱したがっているひとの手伝いにきてくれる意識存在というのがいるらしいことが書いてあったのを思いだした。数名の意識存在がやってきて肉体から魂を持ち上げて出してくれるということがあるらしい。もしかして、彼らがそうだったのだろうか…。そうだとしたら、ぼくは彼らにすまないことをしてしまった。待ち望んでいた幽体離脱のチャンスをのがしてしまったことになる。
しかし、また彼らも悪い。いくらなんでも「アパッチ野球軍」の格好して、ちり紙交換の自動車に乗ってくるなんて常識はずれだ。しかもまったくやる気なさそうなあの態度。こっちの気持ちも考えてほしい。今度やってきたら説教してやる。
という夢をみたわけです。
またぼくは眠っていたんだけど、そこに以前うちで飼っていた犬がやってきた。いまはもう死んでしまっているのだけど、おーよく来たなーなんてぼくはうれしい。犬のほうもしばらくぶりでシッポ振ってる。そのうちぼくは肉体から魂が抜けて、今度はちゃんと幽体離脱してしまったんです(あくまで夢のなかですよ)。ああ、生まれて初めての幽体離脱だあーなんてぼくはちょっとうれしい。
ぼくの魂は家の上空を旋回して夜の小平市を観まわしている。するとときどきぴかっぴかっとぼくを照らす光りがあるんですよ。なんだろうなーなんて光源を探すと、ぼくのうちのまえに灯台がやって来てるんですよ。どうやってうちまで灯台がきたのかわかんないのだけど、たぶん下のほうに車輪のついた灯台なんだろうなーなんて思った。
部屋に戻るとその灯台に乗ってやってきた作業服姿のふたり組が部屋に入ってきて、◯◯猫がこのへんにいるらしいので捕まえにきたっていうんです。(◯◯猫っていうのの◯◯がなんだったか忘れてしまった)
ぼくがベッドのしたをみるとそこから一匹のちょっと狂暴そうな黒猫がでてきた。おー、こいつだこいつだってんで作業服のふたり組はその猫捕まえてしまった。だけどその瞬間、◯◯猫はなぜかふたつに分裂して逃げようとした。慌ててぼくがもう一匹を捕まえて、灯台に持っていった。「噛まれるとやっかいだから気をつけて」って言われたが、噛まれないうちにぼくは夢から覚めてしまった。
まあそういう夢。この夢はもうちょっといろいろあったんだけど、うまく整理して文章にしようとするとよくわかんない。だからまあこういう夢だった。
で、また目が覚めてからいろいろ考えてみたんだが、さっきの作業服姿のふたり組はもしかしてあのときのアパッチ野球軍のやつらだったのかしらん。あいつら今度は灯台に乗ってやってきやがった。まったく、今度会ったら説教してやろうと思っていたのに、すっかり忘れていた。寝ていたから気がつかなかった。でもまあちり紙交換の軽トラで来るよりは灯台のほうがまだ良いか…。まったくヘンなやつらだなあ。
いまのコジマはそんなかんじです。
とはいえ、そのうち気に入ったカードができたらちゃんとした印刷もやってみたいとは思っているのです。印刷するとなると、たくさん刷らないと意味ないから、そうしたら販売もするかもしれません。
ビジネスではないところでなにか作品つくりたくてこのホームページを始めたので、もうしばらくの間、まったくお金にならないっていうことを楽しんでいたいなーなんて思っています。いつまでできるかわかりませんが。
まだどうするか決めてないけど、来月もまたよろしく。