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10月はシャキッといくのだ!!
こないだからマックの調子が悪いわるいとか、そればかり書いていたような気がします。われながらちょっと情けなくなったので、9月の終わりにコジマのマックをいっかい初期化しまして、いまはかなりまっさらな状態にもどっています。これ、初期化始めてから、使えるような状態にまでもういちど作りなおすのにまるまる2日もかかってしまいました。うまくやればもっと早くできたでしょうが、つっかえつっかえやっていたし、こんどは徹底的にストレスをなくしたいと思っていたので、間違えたら最初からやり直しなんてこともしていたりしたもんですから、結局合計4回初期化してぜんぶインストールしなおしました。 そうそう、このページは更新状況、いわゆる「WHATS NEW」のコーナーでもありました。ホワッツ・ニュウはですね、先月の終わりくらいにポストカードの新作を2点ほど、追加しました。何日だったか忘れちゃったけど。まあ、ここで書かなくても最初のページの日付をみていただければ、そのほうがわかりやすいですけどね。あと、今日も、もうひとつ新作追加しました。 このホームページをつくっていて、最近だんだん物足りなさを感じてきてましてね、それは、こういったコンピュータ内でつくられたもののどこからどこまでが作品なんだろうっていうことから派生しているみたいです。
10月はシャキッといきたいんだけど‥‥。
こないだ、9月のだらだら書きの下のほうで、コジマが幽体離脱をしたみたいな夢をみたっていうハナシを書いたんだけど、後日、石井ジュンコさんから、それに近い体験談をメールでいただきました。面白いから紹介したいと思います。
石井ジュンコ WROTE: と、いうわけなんですが、はてさて、こういう現象はなんなんでしょうか。 というわけで、ハナシをかえましょう。
こないだ書いてる途中で眠くなってやめちゃったハナシの続きなんですが、そうそう、本フェチのコジマとしては、このホームページつくってるだけじゃ物足んなくなってきちゃったかなーなんてていうハナシの続き。
こないだ、カート・ヴォネガットの「青ひげ」を読みました。なんかすごく面白かった。ヴォネガットっていうと「タイタンの妖女」や「スラップスティック」のような、思いきり笑えるナンセンスのほうがぼくは好きなんだけれども、この「青ひげ」はそういうばか話的要素は少ないのだけれども、ぼくが個人的にとても興味深かったのはきっと主人公のラボー・カラベキアンというひとが画家という職業で、大衆的テクニカル・イラストレーターの面と、抽象的現代美術作家の面とをもち、そのふたつの葛藤がテーマとなっていたからだろうと思います。
なんか疲れちゃいました。
でも、結局こういうのは完璧にやろうとしても駄目みたい。すこしだけ調子よくなったけれど、あんまり変わらない。納得いくまでやり直ししていたらきりがないので、もうこれでいいやという感じで、あとはおいおい直していこうと思っています。
というわけで、ここ2日ほどマックの設定直しにかかりっきりでした。こういうときって、ぼくはすごく一生懸命になってしまう。というか、必死。ほかのことがなんにもできなくなってしまいました。こんなに真剣になったのってホントにひさしぶりのことのような気がする。
今後の予定としては、あいかわらずのいきあたりばったりなのでわかりませんが、まんがの新作はまだまだです。とりあえず、絵葉書方面を時間のあるときに作っています。
本当はこのだらだら書きのコーナーのほかにも文章のコーナーがあって、当初はそっちでいろいろ作文する計画だったのですが、そのコーナーもちっとも更新していません。そのコーナーに使うつもりだったエネルギーがみんなこのだらだら書きに来ちゃってます。ついつい気らくなほうにいっちゃってます。性分なんです。
そもそもぼくは自称「本フェチ」で、印刷されたものが好きだからこういう仕事しているといってもいいくらいのやつなんです(まあ本フェチといっても別に収集家でもないし、それほどの読書家でもないから中途半端なんですけどね)。
たとえば、絵画もわざわざ美術館に観に行くよりも印刷された作品集を家で観るほうが好きだったりする。もちろん然るべき場所でほんものの絵画を鑑賞することほうが素晴しいのだというひとのいってることに反対する気持ちはまったくないし、ときにはぼくも美術館や画廊に遊びにいって楽しんでいるのだけど。
たぶんぼくの場合、美術館に絵を観に行くっていうことは、それだけでひとつのイベントになってしまって、きっちり絵を観たという気がしなくなってしまうのだと思う。絵を鑑賞したというよりも、その日に乗った電車のこととか、美術館の外観とその日の天気とのバランスとか、絵を観ているほかのひとたちの様子とか、近くのレストランで食事したこととか、そういう出来事のほうが記憶に大きく残ってしまうことのほうが多いわけ。もちろんそれぞれの面白かった作品なんかは覚えているけど、それも観に行ったときのさまざまな出来事とあくまで等価なものとしての記憶なんです。鑑賞したというよりも、そういう出来事があったなあ‥っていうかんじ。
ほんものの絵を観に行くっていうことはきっとそういうことで、だからそれはそれでいいんです。ぼくにとっては遊園地に遊びに行ったり、スクーターで奥多摩周遊道を走ってきたり、友だちと酒飲んで騒いだりするのと同じこと。これは絵を観に行くというイベントなのだ。イベントとしては悪くない。
ひとりで部屋で作品集を開いて、縮小印刷されたその絵画と真正面から向き合ったからといって、その作品をきっちり鑑賞できたかどうかなんてことはわからないし、ぼくはべつに批評家でもないから、客観的な鑑賞眼を身につける気もないので芸術鑑賞なんてのはどうでもいいんだけど、でもひとりで本に向かっているときのほうがその絵のなかの世界に入りこみやすくなるような気がする。日常的な出来事から少し距離をおいて、作品のなかで好きなだけ遊んでいることができるのは、ぼくにとっては、現実世界と地続きの美術館にあるほんものの絵画よりも複製された印刷画集のほうが断然よい。
まあそんなふうに印刷されたものが好きなわけです。
だから、インターネットでホームページつくって作品を発表するなんてことができるのは凄いことだなーと思いつつも、どこか物足りなさが残るわけ。
(あれっ、ちょっと理屈がとおってないゾ!! まあいいか‥‥)
パソコンの場合は、作品の完成品と、その制作過程のものとの区別があまりない。ワープロでつくった作文もパソコン上で開くかぎり、まだまだ変更可能で、いちど完成したものでも下手するといつまでも推敲してしまって、結局駄目になってしまうなんてこともよくある。もちろん変更不可にすることもできるのだけど、ぼくの気持ちとしては、プリントアウトすることによってやっと作品が完成したような気分になれる。こういう気分ってけっこう多くのひとが同意してくれるんじゃないかなあ‥。
なんだかハナシが横道それちゃってきたな、なにを書こうとしてたんだっけ。
(ああ、今日の文章メチャクチャ‥‥)
つまりさ、ホームページつくっていて、自分の作品をワールドワイドに発表できるのはいいんだけど、そのほとんどが、印刷していないってことで、じぶんにとっては作品以前のもののような気がしてしまうことがよくあるんですよ。だから、こりゃやっぱあるていど印刷しなくちゃじぶんの気持ちとしては収まりつかないかもなーなんて思うんです。
それでどうしようかなーなんて考えていたわけなんだけど、そうこうしているうちに夜もふけてきました。なんか今日の文章、ボロボロですねえ‥。考えがまとまってないままに、考えをまとめるために、この文章書いているからなんかどうしようもないなあ。
いろいろ書きたいことあったのに‥‥。
まあ、この次はもうちょいちゃんと書くよ。宿題にしといてくれよ。シメキリなしで。
(前略)
さてさて、26日のだらだらを読んだので、わたしにも一つしゃべらせてください。
意味があるんだか、ないんだか(きっとあるのでしょうが)よくわからない夢をよく見ます。 「真っ白い部屋のすみっこにピンク色のトカゲがいるのをジ〜っと見てるだけのわたし」を見てるわたしとか、自分自身がイギリス人らしき家庭の飾りものの銀のスプーンになったりとか。
わたしの場合、よく「物」になっていることが多いです。ドアノブ、ワインのコルク栓、西日のあたる窓のカーテンとか。ここのポイントは「西日のあたる」です。地獄ですよ。いや、ホントに。
で、問題の夢なんですが、「幽体離脱したがっているひとの手伝いにきてくれる意識存在」っていうのにかかってくるんです。
高校のころの夢。 わたしは夢の中でも眠っていて、そこでもなにか夢を見ていたような感じ。
寝ているその場所は知らない場所。なんだか部屋の外で人がしゃべっているようなうるささで、目を覚ます。
耳を澄ますとやっぱり、外で話し声がする。でもここで、外にいるのは2人だとはっきりわかる。見えてないのに。どうやら近づいてくるようで、声がはっきり聞こえるようになって、何をしゃべっているのかも、聞き取れる。「おい、ここじゃないか?」「ああ、ここだ。ここだ。」って聞こえたと思ったら、その2人は勝手に上がり込んでくる。「ああ、いた。いた。この人だ。」「おきてくださーい。」って言われるんだけど、寝たフリなんかして様子を見る。ちょっと観察なんかする余裕もある。2人組みは「クロコ」みたいな格好で、一人はひょろひょろののっぽ。もう一人は、まんまるのちび。お遍路さんみたいに杖と鈴(鐘?)を持ってる。そのうちのっぽの方が「おい、この人じゃないぞ」と言い出して、「ああ、いけない、いけない、間違えた」「あっちだ。あっちだ。」って言ってるうちに壁をすり抜けて行ってしまう。そこで、本当に目が覚めたんですが、実際にわたしが眠っていた時間はほんの4、5分。
これは、「幽体離脱したがっているひとの手伝いにきてくれる意識存在」からみると、どこかに幽体離脱したがってる人がいて、わたしはその人と間違われたってことになるんでしょうか。
ちょっとお間抜けな感じですね。
一時期よく、夢に坊さんが出てきたこともありました。五重の塔とか、仏像を見てるんですが、気が付くといつもその坊さんが後ろに立っていて、見てるものの解説をしてくれるっていう。実際にはそれらのものは見たことがないものばかりで、かなり熱心に聞いている。質問なんかもしちゃったりして。知らないものなのに、その解説は一体なんの知識から来るのかわからないけど、教えられている感覚が異常に強い。何度も何度も見たので、その場所とか、その物事が結構重要でなにか教えていてくれたのかもしれないけど、知らない場所なうえに、目覚めても漠然としか覚えていなかったので、結局そのまんまにしちゃって、その夢は見なくなっちゃいました。この夢は、起きるとものすごーく疲れていたなー。てな感じです。
(後略)
コジマが勝手に思うところでは、じゅんこっちの家に現われたふたり組は、べつに幽体離脱を促すためにやってきたひとたちとは違うような気がする。なんかもっとべつの用事があって来たんだけど、家を間違えちゃったんじゃないかなあ‥‥。
こういうオバケ方面のひとたちって、意外にそそっかしい印象がありますねえ。たぶんこういう世界は、まだまだ近代化されていないのでしょう。人間のひとたちが、みんなしてバチが当たることを恐れてあんまり文句をいわないのがいけない。JAROみたいな民間団体つくって、オバケに対する苦情、問い合わせを受け付けるようにしたほうがいい。このホームページを読んでいるオバケのひとたち、いらっしゃっいましらよろしくお願いしますよ。嘘の呪い、大げさな幻覚、まぎらわしい夢など、ユーレイに関するトラブルを一手に解決する、妖怪ポストみたいなのがあったらいいなあ‥‥(笑)。
じゅんこっちもありがとう、またよろしくね。
このホームページは、じぶんが作った作品を発表する場所として開設してみたわけなんだけど、それはいまでも変わってはいないんだけど、ホームページっていうものの性格上、作品ではないもののほうが、受けが良いみたい。つまり、このだらだら書きは作品ではなく、単なる無駄話しのコーナーなんだけど、これがいちばん受けが良かったりする(笑)。あるいはぼくも他のひとのホームページみていて、作品とは違う、こういう無駄話しのコーナーから観始めたりしちゃう。失礼かとは思うのだけど、画像作品をたくさん並べられてしまうとぜんぶ観るのはたいへんなので、日記やプロフィールのコーナーだけ観て、そのひとのことをわかったつもりにしてしまうことも多い。
モデムやパソコンの環境にもよるのだけど、ホームページっていうのはそういうものなのかもしれないですねえ。
たとえば、テレビがそうだけど、芸人の本来の芸よりも、そうでないところのほうが面白いことが多い。作品より私生活のほうがテレビで観るには面白いなんてことけっこうある。
まあそんなわけで、ぼくの気持ちとしてはホームページを作っているだけでは済まないことになりそうで、はてさてどうなることやらって感じですねえ。
このへんの問題はまたなんか考えたらこのページでお知らせしていきたいと思っていますのでよろしくです。
だけど、ぼくはこれ、去年出たハヤカワ文庫版で買ったんです。それには腰巻きのコピーが「いつにもまして大きな感動が待っている。」ってある。裏を返すと訳者浅倉久志氏のあとがきの抜粋が掲載されていて、「(前略)この作品にはいつにもまして感動的な結末が待っています。たとえが悪いかもしれないけれども、耐えに耐えてきたやくざ映画の主人公が悪人どもをぶった斬るのに似た、胸のすくような快感です。」って書いてある。さて、これはどういうことなんだろう‥‥。
そんなコピーの文句に引かれて読み始めたものだから、ラストになにがあるのだろうってぼくは期待しすぎたのかなあ、「耐えに耐えてきたやくざ映画の主人公が悪人どもをぶった斬るのに似た、胸のすくような快感」というは残念ながら得られなかった。どちらかというと、古典的な大衆芸術と前衛的な現代美術とのあいだで揺れるひとびとに対するとりあえずの一時的なヴォネガットの解答でしかないように思えた。ぼくとしては、この結末を「胸のすくような快感」といいたくないのかもしれない、まあこれはぼくのエゴでしょうが。
この「青ひげ」は、なんだかリトマス試験紙のようなところがある。この本を読んで、「胸のすくような快感」を得られたひとは、現代美術を悪と考える大衆芸術擁護派で、前衛的な現代美術が大好きだっていうひとはもしかするとこの結末は「ナットクいかねえなあー」なんて思うのかも知れない。とはいえ、べつにどちらが悪でどちらが善かという問題ではないのだけど。
ヴォネガットの作風っていうのは、そもそも純文学と大衆文学のあいだで迷いながら、結果的に迷ったままのどっちつかずな状態で固まってしまって、それがスタイルになってしまったというようなところがある。まあ基本的にはエンターテイナーだと思うのだけど。
実際のところヴォネガットは、抽象も具象もどちらも好きなんだと思う(あるいはどちらにも呆れているのかも知れないけれど)。きっとヴォネガットはそういうひとなんじゃないかなーってぼくは勝手に思っていて、そういうところがぼくは大好きなのだ。たぶんヴォネガット・ファンの多くは似たような思いなのではないかなあ。だからそういう意味で、この「胸のすくような快感」という腰巻の宣伝文句はちょっと急ぎすぎの結論のような気がしたのだが‥‥。
はてさて、いかがなものでしょう。
ネタばれを恐れながら書きましたので、この文章はすでに「青ひげ」を読んでいるひとにしかわからないような内容になってしまったかも知れません。失礼いたしました。
なんだかなー‥‥
こないだ、新潮文庫版の「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」を買いまして、ときどき開いて読んでます。矢川澄子・訳、金子國義・絵の「アリス」で、新潮社から出ているのだから、スタンダードな訳かと思っているとさにあらず、なんだか凄く特殊な「アリス」で面白い。
「アリス」の訳本はいろいろ出ていて、ぼくはずっと生野幸吉・訳の福音館の2冊で親しんできてました(やっぱ、日本ではこれが定番だと思う)。そのあと、河出文庫版、高橋康也・迪・訳の「不思議の国のアリス」が気に入ってました。ぼくの気持ち的にはこれがスタンダードなんだけど、残念ながら同氏訳の「鏡の国のアリス」は出ていない。
ちくま文庫版の「アリス」は、柳瀬直紀の訳で、これもすごく気になっていたんだけど、いつのまにか本屋で見かけなくなってしまったので、絶版なのかなあ‥‥。買いそびれた‥‥。
話の途中ですが、この文章を書きながら、重大なことに気がついてしまいました。
「鏡の国」の最初のほうに出てくる「ジャバウォッキーの歌」のことでも書こうかなあと思って、この文章書き始めたのですが、こないだ買ったばかりの矢川澄子・訳の「鏡の国」を見てみたところ、「ジャバウォッキーの歌」がないっ!?
「ジャバウォッキーの歌」って、日本語に訳すの、めちゃめちゃ訳者のセンスにかかってくるものだから、ぼくとしてはこの文章書きながら、ジャバウォッキーを肴にいろんなひとの訳文くらべでも楽しんでみようかなーっと思っていたんだけど、こりゃいったいどういう訳かっ!?
矢川訳の「アリス」は、思い入れたっぷりの名訳なので、もしかして構成まで変更を加えて「ジャバウォッキーの歌」はべつのところに挿入したのかな、とか思ってしまった。だって、ティードルダムとティードルディーが、矢川訳ではソックリダムとソックリディーになっているくらいなんですから(笑)。たぶん、文庫本が読めるくらいの大人ならば、アリスの話は誰でもいっかいくらいは読んでいるだろうとの判断で、そういうひとのためにあえてスタンダードになりにくい、はなしことば風のアリスにしたんだろうなあ‥。「ことばの国のアリス」なんて詩集を作るくらいのアリス通、矢川澄子センセーのことだから、どんな訳でも許しちゃう。
で、問題の「ジャバウォッキーの歌」なんですが、ああ、コジマの買った新潮社版「鏡の国のアリス」は、16ページのつぎが33ページ。くっそー、乱丁つかまされてたよ。
もういい。今夜はもうこれで寝る。
10月こそシャキッといきたかった。
こんちは、コジマです。ホームページみてくれてありがとうございます。今月もやっぱりコジマはだらだらでした。シャキッといくのは性に合わない。無理すんのはやめよう。
「スタンプスタンプ」って、ご存じですか。なんかオリジナルのスタンプ作れるキットなんですよ。「プリントゴッコ」のスタンプ版みたいなかんじっていえばわかりやすいかも。それの子供向けのちっちゃいのが「すたんぷりん」っていうんです。吉祥寺のユザワヤで売ってます(まあほかでも売ってるでしょうが)。
それでその「すたんぷりん」のほうなんだけど、たまたまコジマの姉が持っていたからいま借りてきて、コジマケン・オリジナルのスタンプをいくつか作ってみてるんです。
こういうスタンプは、むかしながらのスタンプとは違って凹凸で紙に写すわけではなく、インクを染み込ませてそれを写すっていう形式なので押すのにちょっとコツが入りますね。押すまえにティッシュで少しインクを拭きとらなくてはならないし。最初それがわからなくてインクでべちゃべちゃになったまま紙に押したもんだから、できあがったのが単なるインクの染みでしかなくなっちゃって「これがスタンプー!?」ってびっくりしました。
でもコツさえわかれば大丈夫。気楽にオリジナルのスタンプが作れる。オススメ。
本気でいろんなスタンプ作るんだったら、「すたんぷりん」よりも「スタンプスタンプ」のほうがいい。ユザワヤでみた感じだと、おおきなLサイズのスタンプやローラー式のスタンプなんかは「スタンプスタンプ」じゃなきゃ出来ないみたい。「すたんぷりん」(2500円)だと、ワンポイントの小さいのと、SサイズMサイズの3種類しか出来ない。
で、なんでコジマが「すたんぷりん」やってるかっていうと、ポストカードのことなんです。いままで、ときどきポストカード販売のお問い合わせをいただいていたのですが、どうしようかなーっていう調子でずっと迷っていました。もともと売るために作ったものではないので、販売するならどのようなかたちで売ったらよいのか、そのことで迷っていたわけです。
はじめは印刷を考えていたのですが、調べてみたらひとつ刷るのに2〜3万円かかるみたい。まあそれだけで済めばよいのだけど、たった1種類のカードだけを販売するっていうのじゃあまりにもなさけない。最低でも5種類くらい作って、セットで買えるようにしなくちゃお客さんにもすまないなーって思う。そうすると10〜15万円かかるっていうことになるし、そんなに作ってしまったら抱えた在庫をどうするかっていう問題もでてきてしまうのでこれはちょっといまのぼくには不可能。
それから、それくらいのお金をかけるのであれば、最新型のプリンタを買ったほうが良いのではないかという気もしてしまいます。最近のインクジェット式のプリンタは、もう印刷並みの性能だし、少ない枚数でも関係ないわけだから、長い目でみたらそのほうがよいのかも知れない。でもぼくとしては、ようやくいま持っているキヤノンのBJC-455Jに慣れてきたところだから、すぐまた新型に買い換えるなんてことはできればしたくない。いちど買った機械はできるだけ長く使いたい。
それにまたあと数年待っていれば、印刷以上の性能を持ったプリンタが現われるとも思いますしね。それはもうきっと出力センター並みのもので、そのまま印刷の版下に使えるようなプリンタがでてくるでしょう。そうしたらプリンタも買い換えてもいいかも知れない。それまではいまのプリンタを使いこなすほうが良いと思いました。
というわけであれこれ考えた結果、結局いまのぼくのうちでできる範囲内で対応しましょう、ということに結論したわけです。本格的な通信販売というよりは、欲しいといってくださったかたにはプリントしてお送りしましょうという程度の心構えで、気楽に販売することに決めました。
で、ただ単に自宅のプリンタで刷ったものそのまんまで完成品では、あまりにも芸がないなーって思って、それで「すたんぷりん」の登場なんです。
カードの宛名面にもなにかしらポイントを入れないと、ホントに市販のプリンタ用のカードのまんまなので、それをスタンプで補うことにしました。たいしたものではないのだけど、なにもないよりはなにかしらあるような気がするでしょ。ということで、「すたんぷりん」いっぱつ押したかたちで、販売することにします。
それから、せっかくプリンタでやるんだから、拡大サービスもやっちゃいます。A4とA3の拡大ポスターも作っちゃう(笑)。
これは一応通版というかたちをとりますが、まだ本格的に通信販売をやるというかんじではありません。いままで、何人かのかたから販売のお問い合わせをいただいていたのにもかかわらず、販売はしておりませんという返事しかできなかったので、これではちょっといけないなーということで、ここで作品販売についての紹介をさせていただこうというものです。このホームページは商業利用が禁止されているので、そのことに違反する気はありません。
いまのところの予定では、本格的に通信販売をするときにはニフティサーブのホームページを利用しようかと思っています。ASAHI-NETに引っ越ししてくるまえのニフティのホームページがまだ生きているので、そちらに別館をつくることも考え中です。ただ、こちらもえっちらおっちらやっているのでいつになるのかわからないということで、あまりにお待たせしてしまっては申し訳ない。ここでどうしてもというかたにのみ、作品おわけすることにします。
以下の作品についてご希望のかたは、まずはメールでご連絡ください。希望のカードと枚数をわかるように書いてください。そのあとこちらで金額を計算して返信お送りいたします。送金方法は定額小為替でお願いします(2桁端数は切手代用可)。こちらの都合で対応に遅れることもあるかもしれません。1週間以上なんの返事もなかったらお手数ですがもういちどご連絡お願いします。
これはすべて、1998年10月22日現在の値段です。将来的に変更になる可能性もあります。また、予告なく突然中止になることもありえます。いずれもっと良い印刷で、もっと安くできるかも知れません。いまのぼくができる範囲内でのベストです。ご了承ください。
そのうち通販コーナーができたらそちらの情報を優先として、こちらは無効になります。
後日注 もうしわけありません。 2001年8月コジマケン
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ポストカード1枚100円
(送料は5枚まで80円、10枚まで90円、15枚まで140円) 当ホームページ内のポストカード・ギャラリーにある作品をCANON製BJC-455Jにてキヤノン純正フォト光沢ハガキにプリント。 宛名面に特製オリジナル「すたんぷりん」(三菱鉛筆株式会社製)を捺印後、保護用透明ポケットに入れてお送りします。 このハガキはプリンタの印刷保証領域をはみ出してプリントしますので、上下1センチていどの範囲内に版ズレが生じる場合があります。あきらかにズレているものはこちらでチェックしてハネますが、それとわからない程度のものはイキとする場合もございますので、あらかじめご了承ください。また、プリンタの調子によっては時間がかかる場合もあります。できるかぎり美品でお届けするよう心がけるつもりですが、ある程度手作りのものだということで商品にばらつきがあってもそういうものだと納得してください。 |
A4拡大ポスター1枚400円
(送料は270円) ポストカード・ギャラリーにある作品をCANON製BJC-455Jにてエプソン、スーパーファイン専用光沢紙(厚口)A4に拡大プリント、保護用透明ポケットに入れてお送りします。 こちらは受注生産です。すこしお時間いただくことになるかもしれません。サイン入りをご希望のかたはその旨明記してください。プリントした日の日付でサインを入れます。 じぶんで試してみたところ、なんとなく面白かったので、こういうものも作ってみることにしました。ほかのひとにとっても面白いかわかりません。よく考えてご注文ください。 また、注文があればあっただけプリントしますので、限定生産的プレミアはありませんし、将来的に価値のでるものとも思えません。 |
A3拡大ポスター1枚800円
(送料580円) こちらはまだ試験中のものです。実験に付き合うつもりのあるかたのみ承ります。つまり、がっかりさせてしまう可能性大です(笑)。 ポストカード・ギャラリーにある作品をCANON製BJC-455Jにてエプソン、スーパーファイン専用光沢紙(厚口)A3に拡大プリント、保護用透明ポケットに入れてお送りします。 こちらも受注生産ですので、すこしお時間いただくことになるかもしれません。サイン入りをご希望のかたはその旨明記してください。プリントした日の日付でサインを入れます。 A3の紙にプリントすることは、ギャラリー2の「雨の木」については試しましたが、ほかのものはまだやっていません。もしかしたらできないものもあるかも知れません。ものによっては画質が悪くなる可能性もありますので、まずはご相談というかたちでお受けします。ですから、お断りせざるを得ないなんてこともあるかも知れません。ご了承ください。 実際これはただ大きいだけのものですし、その分どうしても値段も高くなってしまいますし、送料もたいへんです。プリンタの機能を最大に使ってみたかったというだけのものですから、オススメではありません。物好きなかた向けです。 こちらも、注文があればプリントしますので、限定生産的プレミアはありませんし、将来的に価値のでるものとも思えません。 |
あいかわらずではありますが。
こないだ新潮文庫版の「鏡の国のアリス」が、ページ落ちの落丁だったの書いたけど、それ、新潮社に送ったらすぐに新しい本が届きました。おまけで、新潮文庫のかたちのノートが2冊と、YONDAくんのカードサイズの来年のカレンダーが入ってました。コジマはこのノートが気に入りました。ちくまの文庫手帳なら知っているけど、新潮社のノートってのは初めて見たな。
ふつうぼくは、乱丁落丁があったばあい、買った書店で取り替えてもらうのだけれど、販元に送り返すのもいい方法かも知れないって今回の経験で思いました。書店での交換だと在庫ないときはまた2週間待たされてしまうけれど、出版社に送るとすぐ交換してくれるし、サービスでおまけがついてくることもある。まあいろんな出版社があるわけだから、どこもそういうサービスがいいかっていうとわからないけれど。
まあそんなわけで、矢川澄子・訳の「ジャバウォッキーのうた」も手に入ったのだ。こないだ書きかけてやめてしまったジャバウォッキーの訳くらべでもしてみようかと思ったが、まあ今回はやめておこう。もっとヒマなときにでもまたやってみます。べつにやんなくてもいいんだけど。
通信販売の件ですが、いくつか申し込みいただきました。どうもありがとうございます。まだ届いてないひとがほとんどですが、そのうち届くと思いますのでよろしくです。
こないだこれの宣伝文書いてから、また友人からのお叱りをうけてしまいまして、なんでおまえは買うなといわんばかりの自虐的な宣伝文しか書けないのかと‥‥(笑)。買うか買わないかはお客さんの自由なんだから、お客さんを不安にさせるような書き方はいけねえ、もうちょっと普通に書けないのかと‥‥(苦笑)。性格的に通信販売には向いてないのではないかと‥‥(呆笑)。
タメイキ‥‥。
ああ、まったくその通り‥‥。
ホントにぼくは自分がつくったものを売るっていうのが昔から下手でねえ。これがもしかしてほかのひとがつくったもので、それを頼まれて売るってんならちったあしっかり売ったるでーみたいな気持ちにもなれそうなもんなんだが、自分がつくったもんだとどうもうまくいかない。コレスバラシーデスみたいな売らんかなの宣伝文なんて、自分でじぶんに作品賞でも贈るかのような恥ずかしさを感じてしまって滅入ってくる。
まあ、そんなわけで、値段の変更をしました。絵ハガキ1枚150円だったのを100円に、A4ポスター500円を400円に、A3ポスター900円を800円にしました。先日の宣伝文のところもその値段に変更しました。
やっぱりぼくは性分として通信販売が下手みたいなので、もうちょい安くしたくなってしまいましてね。もともとちょっぴり安めの設定のつもりだったんだけど、絵ハガキ1枚200円が相場かなって思って、150円にしてみたんだけど、よくよくみてみるとどうも世の中150円くらいのが多いみたいなんで、じゃあこっちは100円だって値引きせずにはいられなくなっちゃった。もちろんご注文くださったかたにはおつりの返金しております。でも、ポスターはやっぱ安い買い物じゃないねー‥‥、面積的には大きいんだけど‥。
あと、そのうち本格的な通販コーナーつくるってこないだ書いたけど、訂正します。なんだかコジマはこんなふうなテキトーな性格なんでできなさそう。無理すんのはやめて、欲しいとメールくださったかたにのみ対応して、それ以上の宣伝はとうぶんしないことにします。
とはいっても、欲しいといってくださるかたがいるってことは、とてもとても嬉しいことで、大感謝なんです。ぼくとしてはよろこんで対応いたしますが、ときどき気がきかないことも多いかと思います。ご勘弁ください。
あるいはもっといい方法などご存じのかたがいらっしゃいましたら教えていただけると嬉しいです。
こないだ、ニフティのCBシュミレーターっていうのを初めてやってみました。これが、いわゆるチャットといわれるものなのかなー。どこのだれだかわからないかたがたと、深夜にパソコン通して世間話しをするやつ。
よくわかんないから「こんばんわー」って挨拶書いてみたら、どこかのかたが「こんばんわー」って返してくれて、なんだかんだと話しがはずんで、とてもとても面白い経験でした。ちょっとだけ試してみるつもりでやってみたんだけど、始めちゃうとなかなか立ち去りがたくなってしまって、結局3時間くらいやってしまった。お互いハンドルネームで正体隠してやってるから、今回お会いしたかたとまた会えるかどうかわかんないなーなんて思うと、なかなかやめる気になれなくなっちゃって‥‥。こりゃけっこうアブナイ趣味です。
じぶんでもちょっと恥ずかしいなって思ったのは、ハンドルネームで会話してると、だんだん言葉が「赤ちゃん言葉」になってきてしまうこと(笑)。なんでぼくはいま、こんなに幼い言葉使いなんだろーって、ときどき我に返って赤くなりながらやってました。まあこの「だらだら書き」の文体も相当幼いとは思うんだけどさ。
じぶんの名前捨てたら、コジマの正体はこんなに幼い奴だったのかもね。わーい。
あと、コジマは、もともとがいじめられっこの性格だと思うんだけど、30すぎるともうぼくのこといじめてくれるひとがなかなかいなくなってきて寂しくなるんだど、CBシュミレーターのなかだと、年齢も隠しているからみんながぼくをいじめてくれて楽しい(笑)。そういう日頃隠していた性格がハンドルネームに支えられて露になる。なんだか、たいした会話してないのに、とってもいやらしいことしてきたみたいで、あーすっきりしたってなっちゃったよ。欲求不満のかたにオススメ。癖になったらどうしよう。
最近、近所の市民プールに何度か行ってます。お腹ひっこめ作戦。
あのプール、数年まえにも何度か利用したことあるんだけど、そのときは2時間400円しか選べなかった。2時間泳ぐっていうのはコジマにはかなりつらい修行だったのだけど、今回しばらくぶりに行ってみたら1時間200円コースもできていて、行きやすくなった。これならちょくちょく行けそうだな。
昔のぼくはもっといろいろ泳げたと思うんだけど、いまのぼくは平泳ぎしかできない。それもものすごく遅いみたい。市民プールではみんな体力づくりのために、プールのなかを歩いていたりするんだけど、ぼくの平泳ぎをその徒歩のかたがたが、余裕で追い抜いていくんだな。どうなっちゃってんだろう。
あと、プールの監視員の男の子たち、みんなすごいキワドイパンツ履いててびっくり。おしりはみだしてるのに反町みたいにかっこつけてる。そんな格好で同じ監視員の女の子たちと談笑してらっしゃるから、彼女たち、よく平気でいられるなーなんて思った。
監視員の女の子たちは、みんななんだか格好良いかんじでいいなー。彼女たちが監視していると、こっちも張り切って平泳ぎしてしまうんだけど、あっちからはどう見えてるんだろう。徒歩に抜かれる精一杯の平泳ぎ。ちっとも進まないけど、一生懸命泳いでいるおじさまってステキだわーなんて思ってくれないかな。毎日かよったら友達になれるかしらん。ポストカードでもくばっちゃおうかな(やめろやめろへんな妄想!!)。
なんだかかっちょわるいハナシばっかだね。たくさん泳いでもうちょっとマシな男を目指そう。
そんじゃまたね。